『スペシャリストの帽子』読書会

K:昨日、『スペシャリストの帽子』読書会を開催いたしました。
PM11:00〜AM7:00までにおよぶ白熱の読書会でしたね(笑)。メインである読書会の方の概要を。

  • 双方ともに「楽しめなかった」
  • 楽しめなかった理由としては、おそらくこの小説の中で行われているであろう「置き換え」と「再構築」を理解できなかったからであろう。
  • スペシャリストの帽子』を「幻想文学」をカテゴライズすると「幻想文学」とはなんであるのか
  • 幻想文学」というものがなんらかのルールのもとに構築されているものであるとすれば『スペシャリストの帽子』に適応されているルールとはなんであったのか。
  • 幻想文学」が「神話」や「説話」を含むもの*1であるとするのならば、そこには万人にとって了承可能となる「ルール」が適応されている筈である。
  • しかし、同時に「合理的な説明をとるべきか、超自然的な説明をとるべきか、読者に、たえず“ためらい”を強要することこそが、幻想文学の構造的特性であるとした」というのが「幻想文学」であり*2これが全ての「幻想文学」に適応されるルールであるのならば『スペシャリストの帽子』は間違いなく「幻想文学」である。

ってこんなところでよいかしら?編集・追加はカイエ姫たま、お願いしますね(笑)。

C:読書会、お疲れさまでした。
充実、白熱の読書会だったよね(笑)。お付き合い、そして概要の整理どうもありがとう。コロ姫が的確に要点を列挙してくれたので、僕のほうで追加することはないですよ(笑)。
この作品は恐らく「幻想文学」であり、幻想文学というジャンル小説がそなえる「お約束事(=ルール)」の把握が前提段階としてできていず、ルールを当てはめながら読み進められなかったことに、双方一致した「楽しめなかった」理由がありそうだから、では、幻想文学とはどういうもので、どんなルールで構築されているのか考えてみよう、となったのだよね。
下記の本を消化したのち、『スペシャリストの帽子』に再度戻るんだよね?(笑)

K:うーん…。「幻想文学」というジャンルを楽しむためには、それほどの「素養」が必要なのかなあ…。そういう素養というか作法のようなものを身につけてから出ないと楽しめないという構造をもった小説が一体どれくらい多くの人に必要とされているのかちょっと気になるわ(笑)(04/09/22)

C:「幻想文学」に限らず、(ジャンル小説も含んだ)あらゆる小説は、(その作品を楽しめるか否かは別として)前提となる「素養」なしで向かって全く構わないと思うのね。バルガス・リョサが唱えた「透明な技法」のように、技術的なこと、お約束事、ルールなどを本来、読者は意識しながら読む必要もないと思うし。でもでも…でも…。『スペシャリストの帽子』は、そういうことを把握していたら、もっと楽しめそうな気にさせる作品なんだよね!(笑)(04/09/26)

*1:『本朝幻想文学縁起』荒俣宏ISBN:4087482634

*2:幻想文学論序説』ツヴェタン・トドロフISBN:4488070272